巨人の肩に立ちたいゲイ

30代ゲイのブログ。ゲイとしての考えたことをアウトプットしたり整理したりするような場にできればと思っております。やまとなでしこの頃の堤真一が好きです。

ゲイを自覚した瞬間

多くの先人がそうしているように、自分がゲイだと気づいた瞬間ってのを書いておきたいなと思います。と言っても、そこまで劇的な、というか明確なタイミングというのはなくて、比較的あっさりと「男が好きなんだなー」と受け入れたというのが実際のところです。

 

それこそ小学校に上がる前は、保育園で一緒だった女の子とよく一緒に遊んでいて「結婚しよう!」などといってキスしていたのを覚えています。マイちゃん。引っ越してしまって、今どこにいるのかもわかりませんけど。その後、精神的に幼い子供だったこともあって異性を意識するとかってのは特にないまま成長していった気がします。クラスの男子グループとメインに遊ぶけど、女の子たちとも良く喋る子供だったようで、友達は多かったかなと。ゲイ(というかオネエ)のテンプレとして語られがちな、女の子とばかり遊んでいた、というのは僕には当てはまらないかなと思います。確かに通常の男子よりも頻度は高かったかもしれないけれど。

 

で、僕の記憶だと小4のころだったと思うんですけど、何の気なしにテレビを見ていたらNHKかなんかで国体の放送をしていたんですよね。種目はレスリング。当時は今と違ってだいぶエッチなシングレットでして、「吊りパン」。なんというか、すごく印象的だったんですよね。んで、それに性的興奮を覚えたというわけでもないのでしょうけど、記憶の中のレスリング選手の絵を何度も描いていたのを覚えています。うまく描けたやつは机の中にとっておいたりなんかして。今思えば完全にゲイの目覚めだよなぁ。

 

f:id:shoulders:20190804170010j:plain

とてもよい。ちなみに弟より兄の若いころのほうが好き。

 

もう一つ、僕は3歳くらいから長いことスイミングスクールに通っていたんですけど。これまた当時のスクールはコーチが全員所謂競パンなわけです。いや、本当に90年代って最高かよ。とにもかくにもその競パン姿にも、いつの頃からかかなりの興味を寄せるようになりまして。真面目に泳いではいるんだけど、ちらちら水中で競パンのふくらみを凝視なんぞしておりました。近頃のボックス型のやつも悪くはないんですけどね、やっぱ競パンでしょ。まわりの同年代は一切気にならず、コーチばかり。このころから年上好きの傾向が見え隠れしていたのかも知らん。

 

という感じで、かなりマイルドに自分の性的指向を自覚していきました。なのでこれまたゲイのテンプレとしてよく耳にする「女の子が好きになれなくて違和感」「付き合えば治るかと思って試した」等ということは全くないんですよね。ただ、やっぱりこのことを周りにオープンにして生きるという選択肢を取ることはせず、小6の頃に仲の良かった女の子に告白されて断ったあたりから、「別に女の子に何の感情も湧かんな」と確信し、中学のころには完全にゲイとしての自覚・自我はあったように思います。

 

オープンにはしないけど、ゲイであることに迷いもなければ深刻な悩みもない、というある意味幸せな状態で10代以降を過ごしてきたこともあり、「大学生になってからゲイに気づいた」とか、なんなら「結婚してから男に目覚めた」みたいなのってどんな感覚なのか全然わからない。ただただ、「へー、なんだか大変ですな」とうかんじ。でも、僕が好きになる人ってわりとこのタイプの人が多く、どこかガサツさがあったり所謂男らしさを感じるんですよね。人間、恋愛というのは本質的に無いものねだりということかもしれないですね。