巨人の肩に立ちたいゲイ

30代ゲイのブログ。ゲイとしての考えたことをアウトプットしたり整理したりするような場にできればと思っております。やまとなでしこの頃の堤真一が好きです。

勝負は鞘の内にあり

先日調べ物をしていたら、税理士の方が書かれている「税理士もりりのひとりごと」というブログを見つけまして、結構おもしろい内容が書いてあるなーなんて思いながらいくつか読んでいたんですけども。なかなか考えさせられることが書いてあったのちょっと触れてみようかなと思い立ちました。もう何年も前の記事ですし、ひとつは当時プチ炎上案件にもなったようで、それ以降あまりこの件については触れていないようなんですが。世の中がゲイを見るときの、想定すべきまなざしの一つとして理解しておくべきものかもしれないですね。

 

moriri12345.blog13.fc2.com

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マイルドに要約すると「自分は同性愛について良い印象を持っていない。それと同時に同性婚にも賛成しかねる。世の中の一定数は同じ意見であるはずである。特にその同性カップルの間で育つ子供というのは人格形成上の懸念がある。ただこのへんの考え方は差別じゃなくてモラルの問題だから、意見表明くらいしてもいいよね。ごめんやけど。」みたいな感じです。うーむ。ご興味があれば、関連するほかの投稿などもありますので読んでみてください。そんなに気分の良い行為でもないですが笑

 

さて、ここに書いてある内容、正直なところ別に驚くようなものでもありません。ゲイが理解できないとか、ちょっと気持ち悪いとか、そんなのほとんどのゲイは日常生活の中で聞き慣れていますし、場合によってはそれを家族や友人の口から直接聞くことだってあるわけです。それをふまえて考えれば、このブログを読んだところで大きく傷つくということもないかもしれない。悲しいことではあるけどね。

 

ただ、このブログが示唆に富むなと思った理由の一つとして、この税理士の人が比較的理知的な人に感じるという点があります。もともとこのブログにたどり着いた理由は税制の解説記事だったわけですが、その他の「税理士はAIに駆逐されるか?」みたいなコラムもなかなか面白く、仕事もできる人なのではないかな、と思われるのです。にも関わらず、ゲイやその周辺の事情に関しては結構感情的な書き方をするなと。

 

そのへんはご本人が理由を説明していて、簡単に言えば旅行で訪れた南の島の公衆トイレで、現地人と思われる男性にチンコさわられそうになったから、なんだそうです。うーん、わからなくもない笑

 

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私には彼らを嫌う明確な理由があるんです。ごめんなさい。だからLGBT苦手です。仲良くなりたくありません。許してください。これは差別じゃありません、私はLGBTからハラスメントを受けた被害者だから彼らが嫌いなんです。仲間以外の素人にまで見境なく手を出すから、まったく彼らを信用していないんです。

近所に住まれてもイヤです。同じ職場で同僚なんてまっぴら御免。知り合いにもなりたくないです。ゲイバーなんか行きたいとも思いません。とにかく同じ空気を共有したくないほど、GとBは嫌いです。

 

でも、結局その経験を無理に一般化した結果として以上のような考えに至ったという思考過程なのです。このあたりの論理の飛躍が、ちょっと直観に反するというか。僕の経験上、理知的な人は比較的物事を断定するのに慎重ですし、寛容な態度を示すことが多いんですよね。別にチンコ触られそうになっただけじゃん、とは言わないけれど、本当にこの理由だけで強い意見表明に繋がっているなら随分ナイーブな方なんだなと。

 

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何はともあれ南の島に罪はないっすね。いつになったら海外旅行できるのやら。

 

ご本人の語っているような経験をなさったのは災難だと思いますが、それでヘイト撒き散らされても誰も得しないですよね。ゲイとかバイであることと社会性のなさ(他人のチンコ触ろうとする)に相関を見出せるよう事象でもないですし。凄くもったいないなと思うのは、この人の周辺には仕事や私生活においてゲイの人って必ずいるはずで、普通にこんなこと公言してるヤベーやついたら付き合うの止めるよな。

 

僕らにとっては当然のことだけど、生活していると至る所にLGBTと呼ばれている人がいて、でも多くの場合可視化されていなくて。その目に見えない存在に対してどのような想像力を持つのかというのは、結局のところ人間としてのいわゆる器というものを反映するんじゃないかなと思っています。それでもやっぱり見たことないこと、知らないことに確かな手触りを感じ取るのは難しいので、多くの人は様々な既成概念に囚われてしまう。たぶんこの状況を解決できるのは、(いきなりチンコを触ろうとしない)当事者との邂逅なんでしょう。

 

ただねー、事前にこんな考えを持ってるって分かってる相手に、あえて自分のセクシャリティを明かした上での人間関係を構築しようとする人が現れるのかという課題もあります。だとすると、一方的な嫌悪感ってのはその解消自体も自ら遠ざけてしまうんです。これは悲しみです。ぴえん。もちろんこの税理士の方は聡明なようですので、少なくとも仕事上、日常的にこのような主張を繰り広げているわけではないでしょう。だとするとまだ相互理解の望みはあるのかな、なんて。

 

本音を言えば、嫌悪の感情が先に立っているくせに、「生物学的に自然じゃない」論みたいな誤謬まみれの主張を後付けするのってダサいっすよね。普通に生理的に受け入れられないです、みたいに言えばいいんだけど、無意識のうちに何らかの後ろ盾が欲しくなっちゃってるところがますますダサい。小学生の頃からゲイやってるもんで、こんなような頭の中でのシャドーボクシングは経験豊富なんですけど、ほとんど実戦経験がないというのは嬉しいような残念なような。だからこそこんなことブログに書いてやり場のない思いを発散しているわけですね。

 

居合道の教えには「勝負は鞘の内にあり」てのがあるそうで。刀身を鞘から抜いた時には既に勝敗が決しているので、それまでの準備に励めだとか、先に刀を抜いたほうが負けるんでとか、そんなような趣旨らしいです。ゲイとしてこんなかんじのおじさんに出会ったとして、ちゃんと相手と対話できるような人間でありたいです。まあ、先に刀を抜いたのはおじさんのほうなんで、僕の勝ちなんですけどね!