巨人の肩に立ちたいゲイ

30代ゲイのブログ。ゲイとしての考えたことをアウトプットしたり整理したりするような場にできればと思っております。やまとなでしこの頃の堤真一が好きです。

性的指向および性同一性に関する議員の理解増進の必要性

コロナもまだまだ大変でございますが,世の中では「LGBT理解増進法案」なるものが検討されているようですね.様々な思惑がおありなのでしょうが,まあ理念法のようなものを立てるのはそれはそれでよいと思いますけどね.ただ,現実に変えたほうが良いもの,まだまだ議論を要するものが共に存在するのなら,少なくともコンセンサスの取れている部分についてだけでも差別禁止を謳ったほうがよかったのではないかとも思えます.LGBTをひとくくりにして画一的に議論するほどには,国会議員はじめ国民の知識も思考の深さも足りていないんじゃないでしょうか.

 

ここのところよく聞かれる論点が,トランスジェンダーとして理解されている人たちに対する「トイレとか風呂はどうするんだ」とか「スポーツ大会への出場はどうするんだ」という類のものです.極論と極論を戦わせても得るものはなさそうですが,これについては社会的にもまさに手探りな状態ですよね.自認する性に従うべきなのか,身体的な性に従うか,はたまた別の手立てが相応しいのか,当事者にもいろんな意見がありそうですが即決できるようなものではないかもしれない.でもね,たぶん教育や労働の場での差別的な扱いとか,不動産が探しにくい・ホテルに入ろうとすると断られるみたいなのって,結構明確に線引きしちゃってもよさそうな取り扱いもあると思うのです.議員が社会的な問題の存在を認識しているなら,まずはこの辺で手を打っていくという案も取り得るわけですよね?まあ,本当に認識していたらの話ですが.

 

www.nikkei.com

 

てなわけで,今回はこんな報道がでていましたね.これまた「あ,よくある自然主義的な誤謬のやつね」って感じなのですが,まあちゃんと考えたことがなければ破綻に気づかないのも仕方がないのかもしれません.記事によれば,「LGBTを差別するつもりはない」とも繰り返したようですが,僕個人としては「生物学上,種の保存に背く(から良くない).生物学の根幹にあらがう(から良くない)」って論の組み立てであると考えるのが自然な気がして.LGBTというのは現状なかなかセンシティブなタームになってしまっていますから,意見を述べるならもう少し信念をもって主張して欲しいですよね.そしたら僕ももう少し張り切ってブログにまとめるので!今回のことから,意見表明にはちゃんとした準備が必要で,国会議員がそうそうそうめったなことは言うもんじゃないと理解してくれるのであればよいなと思うのですが,さてさて彼はどうなるのでしょうか.

 

僕はこの手の主張に対する意見を中学くらいの時に考えたことがあって,一応自己解決しているというか,理論武装は完了しているつもりです.まあ,生物の授業で生物/無生物の定義を習ったからってだけなんですけどね.自己増殖・代謝・細胞膜.これがそろっていると生物.ウィルスは代謝系が脆弱で宿主なしには単独増殖できないって点で,多くの場合無生物に分類されるわけですが,これはなかなか示唆に富むお話です.とにかく,僕は自己増殖に必要な機能を有しているので一応生物ではありそう.女の子とセックスはしませんが,ちゃんと遺伝情報持ってるので自己増殖の能力自体は大丈夫.もちろん代謝もしてるし,自己と外界を隔てる膜もありますよ.いずれにせよ,生物としてどうか?っていう点では特に問題なし.ってかそんなに増殖が大事ならなんで一夫一妻制なんですかね?魅力的なオスは次々に複数のメスを孕ませたほうがよっぽど効率的な気がしますけど,立法府は生物学の根幹にあらがっているのかしら.

 

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)

  • 作者:福岡 伸一
  • 発売日: 2007/05/18
  • メディア: 新書
 

 

まあ冗談はこのへんにするとして.結局のところこの話題の根底には道徳観が横たわっているわけです.これに無理やり理由付けとして生物学云々を使っているだけで.正直この道徳というのは本人の現実認識のあり方に大きく依存するので,こればっかりは論破はできない.合理的に説得・解決できるのなら宗教戦争で人が死ぬこともないわけですから.牛を食してはいけないと信じ込んでいる人たちにとってはぞれが全てですし,アッラーの教えに則って社会にそういった法律を作ることもあるでしょう.今回の件も,「同性愛は許されない,神武天皇がそう言っている!」ってことならもうそれは仕方のないことです.それが彼らの見ている世界なのですから,信仰に正しいも間違いもない.ただ,もしそこまで強固な認識でもないのなら,それは社会に醸成された雰囲気によって変わるかもしれない.そこには多少の期待もしています.

 

僕はゲイであることに小学生の頃から自覚的でしたけれど,それは正に自己と外界との隔たりを常に意識するということでもありました.常識,道徳観,社会通念に対するメタ認知というのは,マイノリティに限った話ではありませんが,少なくともエヴァにおけるLCLのごとく,社会に埋め込まれた意識と自分が完全に一体化し,もはや無生物になり下がっているのでは?という意識レベルの人は時々います.そんな人を見るにつけ,「ああはなりたくないものだな」などと偉そうな感想を抱くわけで,今回の一連の議員諸氏に対する感情も大差ありません.

 

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エヴァ,もう10年早ければちゃんとはまれたと思う.

 

しかし.このような批判は同時に自分自身にも向けられてこそ意味があるということを忘れてはいけません.LGBTって別に一枚岩でもないし,僕らが感じている「痛み」みたいなものそれ自体は現実だけど,どこに原因を求めどう対処するかという部分には大いにバイアスがかかってくるわけです.相手を批判するときこそ,自らを省みる姿勢って結構大事にしたいよねという話.禅問答みたいになってくるけど,100%自分が正しいって信じ込めちゃう状況ってのも,精神的には不健全な気がするし.

 

なんかここ数日,ナイモンかエロのことしか書いてなかったせいで,何かを取り戻すかのように無理して真面目っぽいことを書いてみたんですけどそろそろ限界です.差別は良くないですけど,一番ダルいのは自分の喋ってることの意味を客観的に認識できてないことな気がするよって話.なんかすごい頭使ったから,明日からはまたエロの話しだけ書きます.おやすみなさい.