巨人の肩に立ちたいゲイ

30代ゲイのブログ。ゲイとしての考えたことをアウトプットしたり整理したりするような場にできればと思っております。やまとなでしこの頃の堤真一が好きです。

34歳ゲイはいかにして筋トレを始めるに至ったのか

昔から人と同じことをするのが嫌いです.天邪鬼なのです.没個性は負けだと思っているし,人と違った感性を持つこと自体に価値をおいています.もっと言えば,人と違っていれば何でもいいとさえ思っています.これは僕の人生にとっていまのところ良いほうに作用してきました.ありがたいことに.

 

量産型という言葉があります.既存のテンプレを無批判になぞって,安易にモテようとするその無粋さを揶揄した表現.量産型大学生やら量産型女子などの活用が存在します.一時期の黒髪マッシュにチェスターコートとスキニーパンツ,最近だとセンターパートでオーバーサイズのセットアップでしょうか.もちろんイカホモ(死語)というのが量産型ゲイにあたるわけです.短髪ヒゲ,そしてなんと言ってもマッチョであることは必須でしょう.

 

確かに例外はあります.太った方やスリムな方を積極的に好む人も多いですし,身体が何れかの属性に該当しなくたって顔が良ければ結局OKだったりするのです.近頃では上澄み専とかいう用語を耳にするようになりました.選ぶ誰専と同義で,各属性のエリート層のみを相手にするということ.人はどこまでもわがままになれるのです.ちなみに僕もその病気に罹患しています.

 

それでも,出会いを求めるのならばやはり筋トレをしていくらか筋肥大した身体を手に入れるのが最も効率が良いでしょう.そんなこと誰だって分かってますよね.僕だって知っています.それはもう痛いほどに.やっぱり体格いい人を目で追いがちなわけで,このあたりは根っからのゲイ的嗜好の持ち主です.個性も何もあったものではない.性欲の前には天邪鬼な自我など無力です.しかし,マッチョを好むというテンプレ以上に罪深いのは,自分自身の身体を筋肥大させることによってモテを得んとするアイディアの浅ましさなのです.

 

没個性を嫌うことで確立されたアイデンティティーと,最適解であることが自明なモテへの一本道.この葛藤,お分かりになるでしょうか.モテたいけど,ひとと同じようにモテるのが嫌というか,モテようとしていることを悟られるのが恥ずかしいというか.そんな陰鬱な人間性なわけです.なんだろう,余裕だけどなんかちょっとモテちゃってますかね?ぼく,みたいなかんじがやりたいわけよ.いや,そんなやつすげーダルいのはわかっているんだけれども.

 

そんなこんなで,イカホモへの一歩を踏み出すことに躊躇し続けてはや10年.観念した僕は結局ジムに通い始めたわけです.30代もなかば,今後一定の市場価値を保とうとするならばこれしかないのです.背に腹は代えられない.大学時代,部活に入っていた時分は多少(本当に月1~2回くらいの頻度で)大学のトレーニングルームに出入りしたこともあったわけですけど,これまで本格的にジムに通ったことはありませんでした.マシンの使い方は説明を読めばわかる気がするけれど,どうせならフリーウェイトってやつもやってみたい.効率よく筋肉をつけたい.でも大学時代を思い返すと,奥まったフリーウェイトゾーンからはなんだか初心者お断りのオーラを感じとっていました.幸い最近は懐具合にも多少の余裕が出てきていますから,ここはひとつ自己投資ということでパーソナルトレーニングでもどうだろうか.この過去の記事で今後の目標を言語化したのですが,それも今回の決断の後押しをしてくれたように思います.

 

shouldersofgiants.hateblo.jp

 

そんなわけで,「ジムでフリーウェイトゾーンに立ち入るお作法を身につけるため,大枚はたいてパーソナルトレーニングジムに通う」というなにやら本末転倒な事態に.しかしこれは良かった.実に良かった.確かに金はかかった.週2回4ヶ月にわたってパーソナルトレーニングに勤しみ,フリーウェイト中心に様々な種目をイチから教えてもらいました.独学でもできたでしょう.しかし,通いはじめの訳もわからずオロオロみたいなこともなく,またお金を払ってトレーナーさんの時間を確保している責任感からもジムに通う習慣が完全に身につきました.ジム中毒ってわけではないですけど,心理的な抵抗なくジムに通えるようにもなりました.

 

効果の程ですが,正直1ヶ月目でわずかながら体が引き締まるのを感じました.なんだか大学時代の体が戻ってきた感じ.結果が出るのは3ヶ月後だと覚悟せよ,というような教訓にあふれているなか,思いもよらない変化でした.3ヶ月後には目に見えて各種目の重量が上がっていき,4ヶ月後には久しぶりに会う友人が口を揃えて腕の太さを指摘する状態になりました.この頃にはこれまで着れていた全てのジャケットで肩幅が入らなくなり,結局我が家からスーツが全て姿を消してしまう結果に.まあ仕事で袖を通す機会はないのでいいのですが,結婚式に出席するため新品をオーダーするなど嬉しいような嬉しくないような出費も発生しました.

 

ジムで自撮り絶対にできない.更衣室で「今日は胸の日」みたいなの許される体になりたい.

 

この経験から得た教訓ですが,第一に筋トレも習慣化してしまえばそこそこ楽しい.正しくやってれば一定の成果が得られる点で達成感があり,ポジティブフィードバックが成立します.多くの人が筋トレの沼にはまっていくの頷けます.労力に対して単調性を持って成果が得られるって,仕事と違って内なる葛藤と対峙する機会が圧倒的に少なくなりますからね.それから第二に,マッチョに対する具体的なリスペクトが生まれます.扱っている重量に関する定量評価と,身体つきに対する定性評価でもって,今までよりも解像度高く相手の筋肉の「ありがたみ」を推し量ることができます.マッチョってエロいよねという感想から,そんなにマッチョな状態で僕とリアルしてくれてありがとう,という感謝に変わるのです.

 

一方で,マッチョに対する憧憬はかえって薄まってしまったようで.下手に筋肉スカウターの精度が向上してしまったばかりに,中途半端な三角筋を見れば「おうおう,ゴールドジム通いアピールするならもっと頑張れよな!」となるし,びっくりするような広背筋の盛り上がりを前にすると,それに至る労力の投入量が見えてしまうぶん「いやいや,こんなになるまで鍛えるってよっぽど無趣味なの?仕事暇なの?」となってしまうのです.我ながら本当に性格がゴミなのです.もちろん,筋肉自体は変わらず十分に魅力的なんですよ.しかし,なまじ筋肥大リテラシーが高まってしまったことにより,僕自身にとってマッチョのホワイトボックス化が進んでしまい,手放しに「筋肉尊すぎるぜ!」とやれなくなってしまったことが問題なだけ.

 

学生時代,良い体をしているのは例外なく運動部でした.彼らが別途筋トレを行っていたとしても,そこには説明可能なストーリーが自然に存在していました.しかしどうでしょう.ジムにいるマッチョ,インスタでこれみよがしにセクシーな投稿をするフィジーカーもどき,どこにも物語がありません.単にモテるために体を鍛えているだけ.そして悲しいことに,僕もその一人になってしまったのです.まあ,世の中のマッチョ(なゲイ)の大半は普通に筋トレして普通にマッチョになったわけであって,そこに特別な背景など存在しないのがむしろ当然.マッチョの背後に架空の物語性を構築し,それを卑しく啜り上げていたのは,他ならぬ筋トレに不見識だった頃の僕だったということです.

 

結局,我々ゲイは筋トレの過程で分泌量の増大したテストステロンに反応している(さもなくば肥大した筋繊維それ自体に欲情している)のです.筋肉は単に筋肉であって,それ以上の何かではありませんから,そのありのままを愛でればいいのです.それがわかっただけでも筋トレを始めた甲斐があったというもの.身のこなしが今ひとつなgogoボーイのパフォーマンスを鑑賞したとしても,キレイにカットが浮き出た大胸筋だけにフォーカスしてハァハァしましょう.もちろん,学生時代にイケてなかった吹奏楽部出身の青年が,大人になってからガチガチに鍛えてゲイの業界で成り上がり,大勢の前で脱毛済みの裸を晒しながら自己肯定感を得ている様というのは,それはそれで大変趣があるのですけれど.

 

近年のフィットネスブーム,そして従来から続くゲイ業界の筋肉信仰,これらは確実にマッチョのインフレにつながっています.僕たちは互いに抜きん出ようと身体を鍛え続けることで,お互いがんじがらめになっているのかもしれませんね.見た目を重視した筋肥大偏重のトレーニングはコスパがいいし,何よりモチベーションになりますから,それも致し方ないことでしょう.

 

ベンチプレスが100kg目前となり,そろそろ初心者を脱しつつある11月.インスタでいいねが多くついた,少しだけ体のラインがわかりやすい写真をナイモンにもアップすると,目に見えてスマホの通知が増えました.メッセージを送ってくる相手は,僕の身体つきを好ましく思ったのでしょうか.それともその姿から連想される物語に食いついたのでしょうか.こんな根暗な性根の僕でさえ,アプリでは一定の男らしさを演じることが許されています.これは救いのようでいて,取り返しのつかない過ちを犯してしまったようにも思えます.まあ,クリスマス目前の駆け込み需要,筋トレを頑張ったご褒美と思って便乗してもバチはあたらないでしょう.そう思いながら今日も閉店間際のジムに駆け込むのでしたとさ.