巨人の肩に立ちたいゲイ

30代ゲイのブログ。ゲイとしての考えたことをアウトプットしたり整理したりするような場にできればと思っております。

ボストンの街角で

彼氏と別れて友達に戻るというのはどの程度一般的な事象なのでしょうか.どちらかが単に未練がましく関係性を留保し続けたいと願ってのことなのか,付き合う上での如何ともし難い障壁で已むなくそのような形に落ち着いたのか.何れにせよ,恋人同士であった2人がその後言葉も交わさぬ赤の他人になってしまうくらいなら,この少々居心地の悪い友人関係も積極的に許容していきたいと考えるshouldersです.

 

僕にとっての最初の彼氏は,まさに今このような関係性で友達付き合いが続いています.年齢的には14歳も離れていますけれど,お互いに近しい趣味もありますし,キャリアのことで時に相談などもしあう仲に落ち着いています.年に1~2度ご飯も食べに行きます.付き合ってから彼にフラれるまで1年弱,しかもその大部分が超遠距離恋愛であったことを考えると,友達としてのキャリアのほうがよっぽど長いのですが,僕にとっての初彼はやはりどこか特別なのです.他人の別れ話など,特にゲイのそれは大抵がしょうもない内容ですからここでは割愛するとして.2人の出会いを少し思い出してみることにします.

 

今から10年以上前,僕は新卒入社した会社で海外派遣の要員に入れてもらえることになりました.極度にドメスティックな元弊社でしたが,「グローバル人材」育成の旗印のもと留学経験はないけれどある程度のTOEICスコアを有する若手社員を海外に送ろう,という試みが急ピッチで進められていました.社内でそんな噂を聞きつけていた僕は同期に黙って密かにTOEIC対策を講じており,まんまとその座を手に入れたのでした.まともな海外旅行経験もない新人にそれなりのコストをかけて研修を施すくらいなら,最初から「グローバル人材」とやらを新卒採用しておけばよかったように思うのですが,そこは失われた20年に甘んじていた伝統的日本企業といったところ.ちなみにこの元弊社,最近では「DX人材」の採用に力を入れていて,「失われた30年」も必然の成り行きですね.まるで成長していません.

 

さてそんなわけで,事前の研修プログラムなどを適当にやりすごしながら入社1年目の11月,感謝祭の少し前に渡米することになりました.初めてのアメリカ,初めての長期滞在,しかも僕の手元にはスマホがあります.まだ日本人とだってたいした経験を積んでいないというのに,若さというのは向こう見ずと同義語なわけで,滞在中に外国人といたさなければという使命感に燃えていました.当時はjack'dを使っていましたが,渡米にあたってGrindrとHornetそれからScruffあたりをインストールした覚えがあります.JFK空港に降り立った僕は肌寒い異国の風にブルっと身体を震わせつつ,「HIVには気をつけよう...!」と気を引き締めたのでした.

 

最初のひと月はニューヨークで語学学校に通いました.今とは比べ物にならない円高相場,おまけに滞在費用の他に円で海外赴任手当も出ています.学校が終わるとひたすら遊んでいましたが,おかけでアプリのほうまで気が回りませんでした.時たまメッセージを交わす現地人たちの繰り出すスラングに四苦八苦しつつ,何故かアルゼンチンの旅行者とカフェで喋ってみたりしたものの,特に収穫はなく.性病感染のリスクに晒されることもないまま,今度は現地の会社でインターンシップをやってこいとのことで,僕はなぜかボストンに来ていました.

 

ボストンの緯度は42度で札幌とかと同じです

ニューヨークよりさらに北にあるボストンは,12月の時点で既に雪に覆われていました.機能的でコンパクトなダウンタウンと歴史を感じさせる街並み.ニューヨークとは全く違った雰囲気に心躍ります.働くことになった出版社,といっても語学学校と提携してインターンを受け入れているだけで,なんの責任もミッションも存在しない環境.同僚はみな気のいい人たちで,会話にはいまいちついていけない場面もありましたが,誰かが買ってきたドーナツやらスナックやらで頻繁にお茶を飲み談笑する毎日.バックオフィスのスタッフは定時までにほとんど帰ってしまいます.

 

そんな怠惰な生活を送っているなか,ある日jack'dに1通のメッセージが届きました."Hey, SUP"という簡潔なアクション.プロフィール写真は白人ではなさそうだけど,アジア系かヒスパニックかさえ判別がつかないような後ろ姿.ただ相当に体格が良く,長期間にわたって鍛えていることがわかりました.ボストンではニューヨーク程のやり取りは発生しておらず,課題がない分語学学校よりもさらに暇を持て余していました."Pretty good. I'm new here." もはや予測変換で出てくるようになった定型文を手早く返信します.

 

何度かやり取りをしているうちに,お互い日本人であること,相手もつい最近渡米してきたことがわかりました.それなら話が早いということで会ってみることに.事前に顔写真をやりとりすると,坊主頭で少し下がり眉,年相応か少し童顔よりに見えたのは目と目の距離が若干狭かったからでしょうか.待ち合わせは盛り場でもあるパークストリート駅.仕事終わりにお茶でもという話でまとまりました.

 

当日,雪は降っていないものの極寒のボストン.何度かメッセージをやり取りしながら落ち合った相手はニット帽を被っていて,カナダグースのジャケットを着込んで身を縮こまらせており,写真よりは少し老けて年相応に見えました.挨拶もそこそこに,そそくさと近くのスタバで席を確保すると,一息ついてThe Real@ボストンのはじまりです.異国の地で久しぶりの日本語の会話.なんとなくお互いに気を許せるような雰囲気もあって,気づけば3時間ほど話し込んでいました.彼は少し地元の訛りが残っていて,朴訥とした人柄でもあるのですが,端々に鋭い批判的思考を有しており会話のテンポが心地よいのです.口数が多い訳では無いので基本的には僕が話題を提供するのですが,そのどれに対しても一定の意見を有しているようでした.これはちゃんとした大人に違いない!

 

Fallout4ってゲームの舞台がボストンなんですよね.

割と早いうちから仕事についても話が及びました.入社して半年余り、海外研修中でなんの気負いもない僕は自身の会社名から配属される予定の部署のことまでペラペラと喋っていました.今考えると,彼にも最初のうち警戒があったはずなのですが,僕が一から十まで聞かれもしていないことを喋り続けるものですから,不公平と思ったのかいくつかの個人情報を話してくれました.彼は日系企業で研究者をやっており,社費で3年間の研究留学中とのこと.それを「修行」と表現していたのが印象的でした.まだ社会人1年生であった僕にとってはキャリアについて真面目に考えている大人は魅力的に映りましたし,僕も修士課程まで研究に没頭する日々を過ごして来ていましたので,「自分が研究職に就いていたならあり得たかもしれない」姿を見ている気分で興味を惹かれました.彼の企業では特許の数がひとつの評価指標ではあるけれど,当然学術論文の数というのも重要で,そのためには有力な教授とコネを作っておくことが必要.それを見越して留学を決意したとのこと.新卒でドメスティックかつ古めかしい雰囲気の企業に就職した身からすると,キャリアなんて半分は会社に放り投げていたような意識でいましたので,ふと不安な気持ちにもなりました.

 

遅い時間になったので,近くのステーキハウスで夕食をとり,「インターン先にも近いし,泊まっていけば?」の一言でそのまま彼の部屋へ.コンシェルジュ付きのかなり良いアパートメントで,帰宅してからはお互いシャワーを浴び,同じベッドに入りながらもしばらく『The Big Bang Theory』の再放送を眺めたまま特に何もしない時間が30分ほどあったことを覚えています.今考えるとウケよりリバの彼としては出方を伺っていた感じなんでしょうけど,当時僕の方は経験人数3人かそこら.こちらから誘うなどという勇気もなく,不思議な膠着状態が続きました.やがて向こうからキスをしてきて,そのまま...

 

数年後,元彼に聞いてみたところによると,当時の僕の印象は「一人でよく喋る」「カバンの色のセンスの悪い」だったそう.ちなみに見た目は彼の好きなお笑い芸人に似ていると思ったとのことで,要は顔で選ばれたってことですよね.うふふ.アプリの写真は部活やってた時のものをそのまま使っていたので,筋量が減っていて「詐欺じゃん」って思ったとも言ってました.

 

それ以降,毎日のように会って,いろんなところに遊びに行きました.ボストン美術館,科学博物館,ボストンにある大学のキャンパスもひととおり回ったし,TD Gardenでバスケもホッケーも観戦しました.クリスマーケットに行って,帰りにオイスターハウスでたらふく食ったし,晴れた週末にはボストンコモンでスケートもやりました.今思い出してもキラキラした記憶ばかりですが,これは完全に異国の地の雰囲気に乗せられただけなところありますよね.いやまあ,付き合いたての一番いい時期を,ボストンという一番いいロケーションで過ごしてたんだから,必然なのかもしれませんが.なんてことない街角をふらっと散歩するだけで,なんとなく世界の中心が自分たちだと錯覚していた,そんな時期でした.

 

ちなみに,正式に付き合ったのは4回目に会った時で,彼に「ちゃんと『付き合ってください』って言え」と言われて僕から告白しました.告白を強制されたのは後にも先にもこの時だけです.性格ひん曲がってると思いませんか?

 

バレンタインデーも過ぎ,やがて僕が帰国する季節になりました.その頃には僕もニューヨークに戻っていて,現地の子会社で雑用なんかをやっていたんですが,それでも週末になるとどちらかが飛行機に乗って会いに行っていました.最後の週末はボストンの部屋の番で,ちょうど『Glee』を見てたんですけど.カートがBlackbirdを歌ってるシーンで彼が突然隣で泣き出したんですよね.どうしたのか尋ねると「もう会えなくなっちゃうから」と.今考えればいい年してナイーブだな,ってなもんですけど,やっぱり当時はグッときましたね.僕も若かったし,なによりやっぱり,そこはボストンでしたので.

確かに,僕は帰国したら本格的に仕事が始まる予定でしたし,彼も1本目の論文にそろそろ取り掛かろうかと言う時期でした.流石に東京とボストン,頻繁に移動するには時間もお金もかかりすぎます.時差もあります.初めての彼氏で浮ついた心持でしたけれど,それでも確かに「簡単なことではないのかもな」とは感じていました.

 

結局,彼とはその後半年くらいで別れることになりました.彼が帰国してからもしばらくは会っていませんでした.ただ,僕の心の中にも思うところがあって,結局会社を辞め,博士課程に進学することを報告したのが久々の再会だったと記憶しています.この意思決定には確実に彼が影響していましたし,その感謝は直接伝えるべきだと決めていたので.実際問題,変な人だし,口も悪いし,別れてからは普通に性格悪いなって思うところも多いですけど,ちゃんと努力ができて尊敬に足る人です.僕が職場の悪口を言うたびに,それは君の選択次第でいくらでも変えられることだよ,ってよく言ってたんですが,確かになって思います.そりゃあ,当時すでに40近い年齢だったわけですから,新卒ほやほやの僕に比べて人生経験は豊富だったでしょうけど,なんというか対等な目線でアドバイスしてくれてたのかな,と.

 

四季って日本だけのものじゃないっすよね

今年,コロナ禍以来で久しぶりにボストンに出張がありました.秋口の過ごしやすい季節で,チャールズ川沿いを歩いてみました.当時はほとんど雪ばかりでしたが,10年経っても見覚えのある景色は残っているものでして,いちいち感慨に浸ることになりました.中心部の,初めて会ったスタバはなくなっていて,内装工事が行われていました.ただ,あの時は単なる浮かれ気分の新入社員で,今回はプロフェッショナルとして自分の研究をプレゼンしに来たことを考えると,どこか誇らしい気持ちにもなるのでした.

彼の方は,僕と別れてからかなり長い間一人でいて,今年に入ってようやく,僕よりも更に若い平成生まれの彼氏ができました.聞いている限りかなり振り回され気味のようで,若い男が好きなの本当に変わらないなと思うものの,まあ応援しなくてはいけないですよね.10年以上の関係が続いている,僕の一番古いゲイ友の幸せを願えないようでは,あまりに友達甲斐がないですから.