巨人の肩に立ちたいゲイ

30代ゲイのブログ。ゲイとしての考えたことをアウトプットしたり整理したりするような場にできればと思っております。やまとなでしこの頃の堤真一が好きです。

インスタは出会えるけど好みのイケオジとは親和性が低い説

メッセージを頂きました.ヒロさん,ありがとうございます.忙しくしていてフォームを確認するのが遅くなってしまい申し訳有りませんでした...!

 

「34歳ゲイはいかにして筋トレを始めるに至ったのか」を読みました。
文章がスッと入ってきて、ズンズン読み進めてしまいました(文書を多く書くお仕事をなさっているのですか…?)。
もし差し支えなければ、shouldersさんのinstagramアカウントを知りたいです(トレーニングのモチベーションのために…)。

 

shouldersofgiants.hateblo.jp

 

恥ずかしながら,研究者を呼ばれる類の仕事をしております.一般的なオフィスワークに比べると纏まった文章を書く機会は多少多いでしょうが,専ら事実の積み重ねを構造化して淡々と記述するばかりで,外連味のある描写の心得はございません.ブログを書くならばもう少し読者を惹きつけるようなテクニックも学ぶべきなのでしょう.ただ「文章がスッと入ってきて」というのは非常に嬉しいですし,今後もわかりやすい表現を心がけていきたいですね.

 

さて,言及いただいたブログは僕が筋トレを始めたという内容なんですが,本来そのような恥ずべき行為について語る機会は可能な限り減らすべきなのです.筋トレ歴も2年目に入り,適宜サボり期間をはさみながらもゆるゆると継続している故,ナイモンの趣味欄で「トレーニング」だとか「ベンチプレス◯◯kg」のようなイキりをしたくなる気持ちも無いわけではございません.しかし天邪鬼という業を背負っている以上,そんなの絶対に無理なのです.モテたくて筋トレしてるくせに,「あいつモテたくて筋トレしてるんだぜ」って後ろ指さされるのが怖いのです.もちろんゲイが筋トレする理由はモテるため以外に存在しないので,完全に不必要な葛藤なのは頭ではわかっているんですけど.

 

そんなわけで,ゲイの必修科目として運用しているインスタのゲイアカウントでも,この天邪鬼な自意識が炸裂しています.写真の投稿に関するルールはただ1つ.「自撮りNG」.これをかれこれ2年ほど頑なに守ってきました.熱心な読者の皆様であれば薄々感づいているでしょうが,僕は自撮りを頻繁に投稿するような恥知らずと思われるくらいなら死を選ぶのです.そして死にたくはないので自撮りを縛っているのです.世の中にはストーリーズのお題スタンプや診断アプリなど,激寒な自撮り免罪符で溢れかえっておりまして,それはもう最悪です.あんなものにのっかるくらいなら潔く普通に自撮りをかましたほうが幾分かましです.勿論,然る後に自害することに変わりはないのですが.

 

そもそもインスタと筋トレの相性には悪魔的なものがございます.ストレッチマットの上で痴女丈をパシャリ,カールベンチからはパンプさせたばかりの二頭筋をパシャリ,極めつけは更衣室で「今日は胸の日😁」などと宣いながらパンイチの姿を...と無限の可能性が広がっています.しかしそんな写真を一度でもアップロードしてしまえば最後,デジタルタトゥーは一生ものですから,僕の天邪鬼がそんなことを許す日が来るとは思えません.てなわけで,ヒロさんには申し訳ないのですが,インスタのアカウントをご紹介したところでトレーニングのモチベーションにはなり得ません.ジムで写真を一枚も撮影したことがないのですから.もちろん理由はそれだけではありません.このブログと僕自身の顔を紐づけたくないのです.平たく言えば「こんなブログを書いている男だと思われたくない」わけです.僕にとってはブランディング戦略上本ブログはリスクでしかなく,何故更新をやめないのかと問われれば,一種の性というほかありません.

 

令和時代のゲイは最早ナイモンを捨て去り,インスタでおしゃれにカジュアルに交流するようになって久しいわけです.巧みなセルフプロデュースの先に出会いがあるならば,自撮りを縛ることは即ち業界における社会的な死を意味します.天邪鬼であっても死んでしまっては元も子もないわけでして,そうするとどうにかして自分の姿かたちを見せることに苦心するわけで.「俺の顔に!体に!イイネをよこせ!!」という自己承認欲求がなるべく滲まないよう,厳選した他撮り画像を数ヶ月に1枚アップするのは当然の成り行きと言えるのではないでしょうか.自撮りじゃなければなんだっていいのです.あざとくて何が悪いの?

 

田中みな実のキャラ変はメタな側面から女子アナの役割を破壊したと思う.

 

インスタ,いざ始めてみるとナイモンとは全く違う手触りでして,ゲイバーなんかでの連絡先交換もLINEより気負いがなくて良い.フォロー数とフォロワー数が増えるに従い投稿やストーリーのタイムラインがが賑わってきますから,ふとしたタイミングで昔リアルした人の近況がわかったり,そこにゲイ業界の有名人が並んでいたりしようものなら,このひとたちヤッてるんだろうなと想像を逞しくすることもできるのです.少々広告が目障りではあるものの,twitterより情報のノイズが少ないぶんストレスも少ない気もいたします.それになにより,確かに来るのです.お誘いのDMが.

 

しかしですよ.インスタに圧倒的に不足しているものがあります.それはイケオジです.特に僕の好きなタイプのおじさんです.堤真一か内野聖陽か伊藤英明,もしくはそれに準ずる男前であって,SNSに自撮りを上げないタイプです.これが本当に少ない.そもそも堤真一と内野聖陽はSNSやってないし,伊藤英明もインスタの管理はあれたぶん事務所がやってるんですよね.プロモーションが基本で人となりは伝わりません.偶に「むむむ!」と股間がムズムズしてしまうような殿方を見つけることもありますが,インスタで僕の目に留まる程度にはフォロワーがいる,所謂プチインフルエンサー化しているおじさんたちというのは,その投稿が大変に痛々しく映ることもしばしばなわけです.インフルエンサーになることが主要な自己実現の手段になっているタイプとでも言いましょうか.影響力そのものを追い求める即物的な態度からは,一定以上の人生経験を感じることがどうしても難しいのであります.

 

鍛えた肉体を見せびらかしたい,その気持は良くわかります.それどころか,僕はそのような画像をもって男性性あふれる肉体を積極的に対象化し商品化いたしますので,「どんとこい,センシティブ画像」マインド.それでも,壮年から中年期に差し掛かろうとしている年の頃の男性が,バズを求めて積極的に脱ぎ散らかし,剰え縄に縛られてみたりしている様を見ると,身体的なチンコはさておき精神的なチンコが萎えてしまうのです.

 

生前の報われなさからか,性格の悪さでは右に出る者のいないショーペンハウアーは「分別はしゃべることを通じてではなく,黙っていることによって示す.後者には賢さが,前者には虚栄心がからむ」と述べています.これはまったくもってSNS全盛の現代にも当てはまるように思われてなりません.見栄は自信のなさの裏返しであり,自分の価値に関する確固とした確信を,他人の反応を通してしか得られない虚しさたるや.センシティブ画像で何人を勃起させたとて,そこに誇りは生じないのです.せっかく立派でエロい体をお持ちなのであれば,少し控えめにしておいたほうがよっぽど,身近でまともな人々からの好評を得られるでしょう.

 

僕が天邪鬼と呼んでいるこの厄介な気質も,沈黙という名の分別と解釈すれば途端に奥ゆかしさが滲み出てくるように感じませんか?(ジムでの)自撮りは虚栄心の初期症状.早めに対処するにこしたことはございません.もっとも,こんな悪趣味なブログを続けているのはどんな了見なのかと問われれば,途端に口ごもるしかなくなるわけで.「自分が書いた文書の下に署名しないのは名誉心なきものだ」.ショーペンハウアーはまた,ルソーを引き合いに出してこのようにも述べています.

 

人でなしだけど分別はある男,それが僕ということでオチをつけておきたいのですが,何れにせよインスタではイケオジからのDMを絶賛募集中です.条件はSNSで脱ぎ散らかしていないこと.ちなみにブログの方にも質問やコメントや書いてほしい内容のリクエストをお待ちしています.こちらは特段条件はございませんので,ぜひともお気軽にどうぞ!

 

shouldersofgiants.hateblo.jp