巨人の肩に立ちたいゲイ

30代ゲイのブログ。ゲイとしての考えたことをアウトプットしたり整理したりするような場にできればと思っております。やまとなでしこの頃の堤真一が好きです。

ゲイであることの普通さ

世の中お盆ですね。昨日からお盆休みとってる人も結構いて、職場もだいぶ閑散としておりました。昨年来日したばかりのインド人の同僚に「shouldersさんはどれくらい休むんですか?」と尋ねられ、いくつか会議があって2日程出なきゃいけないという愚痴をこぼしていたのですが、考えたらこの同僚、ここ1年で日本語めちゃくちゃ流暢になっていて驚いてしまいました。来日直後、銀行や役所での申請ごとなど僕が手伝ってあげた縁で、家に招待され奥さんの美味しいカレーをご馳走になったりした仲でしたが、あの頃は僕のカスみたいな英語でコミュニケーションをとっていたはずなのに。やっぱり賢い人は何をやらせても早いですね。

 

僕なんか外国人が年金に加入しなきゃいけないのも知らなかったし、ゲイですので配偶者がいる場合にどのような優遇があるかなどの知識にも乏しく、ただただ必死に窓口の担当者の説明を英語で通訳していた覚えがあります。自分の研究分野であれば背景知識があるので技術用語の羅列でどうにかなるものですが、役所での手続きとなると完全にお手上げ。年金ってpensionだっけ?配偶者ってとりあえずwifeっていっとけばニュアンス伝わるよね...というかんじで地獄のような時間でした。しかも、日本の住民票を作る時にはDBの制約上外国人でもカタカナでのふり仮名が必須のようでして、僕が初対面のお二人の名前を何度も聞きなおしながらそれらしい表記を記入してあげたりなんかして。日本での名付け親みたいなもんなのでちょっと面白かったですが。

 

さて、そのインド人をはじめとして多くの外国人から聞くのは、さまざまな学問分野を母国語で学べることのありがたさ。大学の学部レベル以上の内容について母国語の教科書がないなんてのはざらなわけです。インドはそもそも方言が多すぎてコミュニケーションが厳しいから、エリート層は完璧に英語しゃべるし、中国や韓国でも普通に英語のテキスト使うみたい。クロアチア人の同僚なんて「論文書くならクロアチア語より英語のほうが楽だし、周りもみんなそうだと思う」って言ってた。なんだか母国語より英語が堪能ってのも複雑だよね。

 

昔、仕事でお世話になった在米日本人夫婦の娘さん、生まれた時から英語のみの環境で育ったから全く日本語が喋れなかったんだけど。高校生になってから両親のアイデンティティである日本にすごく興味を持ってて、めちゃくちゃ日本のアニメを見まくって言葉を練習してたのが印象的でした。僕は「英語ネイティブでかっちょいいな~」くらいにしか思ってなかったんですけど、人によって悩みは違うものですね。家族で日本に行っても、彼女だけ米国籍だから入国審査ちゃんと受けなきゃいけなかったりして、いろいろと思うところがあったみたい。人種や文化的背景を持った民族としての帰属意識ってやっぱり大きな意味を持つものなんだろうね。僕みたいなドメスティックの権化にはあまり実感の持てない感情ではあるけど。ちなみに、お勧めのアニメを聞かれたので「これは試されている!責任重大!」と思いガチめに解説を加えておきました。電脳コイルはガチ。

 

電脳コイル Blu-ray Disc Box

電脳コイル Blu-ray Disc Box

 

NHKの本気を感じる素晴らしい作品でございますね。

 

翻って、 僕自身のアイデンティティってなんだろうかと。とりあえずお喋りであることとか、人と違ったことをやってみたい天邪鬼さであるとか、研究者として日々議論していることだとか、いくつかあるわけですけれど、やはりゲイであるという事実が人格に大きな影響を与えていると感じています。それ以外の要素って明確に他人との差別化を図れる程のものでもない気がするので、自己の同一性を規定するにはちょっと弱いですよね。一方で、実際に自分以外のゲイに会ったのは物心ついてから大分たっていましたので、それまでは僕の認識する世界においてゲイは僕一人。これはかなり高純度な独自性でした。

 

shouldersofgiants.hateblo.jp

 

最近では自分以外にも多くのゲイの方がいるという当然の事実を、リアルなどの実体験に基づいて日々理解しているので、ともするとこのゲイとしてのアイデンティティというのは弱まっていくものなのかもしれません。僕の場合は結構前から、自分は人と違うし違っていたほうがカッコいいな、くらいに思っていたところがあったんですけど、最近では「自分も結構まわりと変わらないもんなんだな」と幾分トゲがなくなってきたように感じます。別にゲイであることを恥じたりした経験がないので、この自分自身を受容するプロセスによって特別何かが変わったということはないのですが。

 

同僚のインド人は最近ではすっかり日本に馴染んでおり、最初はビーガンだと思っていたのに何やかんやで肉も食うし、お酒も普通に飲んでいます。アニメが好きだと僕が話せば「HENTAIだね!」なんて言っていたのに、今ではワンピースを視聴しています。また電脳コイルをお勧めした娘さんは、facebookの投稿からいつのまにかアニメの話題が消えていて、今は数学に非常に強い興味を持っていることが伺えました。DMでは名門大学院への入学報告とともに、彼女の書いた卒論(的なもの)も添付されており、読んでみたものの当然ながらよくわからず。ああ、あの時中学生だと思っていた子がいつのまにかこんなことになるのだなと、一種父親のような気持ちになりました。人は変わるし成長もするし。僕も自分のセクシャリティにもう少しちゃんと向き合いつつ、しなやかに生きていきたいななどと思いましたとさ。